茶道を始めると、様々な方面から京都への関心が高まる。
裏千家のお家元があり、茶道具について勉強すると千家十職を知り、抹茶の産地として有名な宇治、そして老舗の和菓子屋さんなど、どこをたどっても京都につながる。
日本では、修学旅行のタイミングで多くの人が京都を訪れる。私は転校が多かった都合で何度も京都を訪れており、当時は「別の場所の方がよかった」と嘆くことも多かった。
また、京都は私の家族の歴史とも深く関わる場所でもありますが、若い時には関心が薄く、家族が元気なうちにその話をゆっくり聞くことはできませんでした。
そして後になってから、我が家のお墓が由緒ある寺院にあることを知ったのです。茶会の掛け軸にもよく登場する有名な塔頭だったので驚くばかり。
もっと話を聞いておけばよかったと後悔していた矢先に、チャンスが訪れました。茶道の友人との京都旅行に合わせて、過去に訪問したことがある家族と一緒に、お墓参りへ行くことができたのです。
手ぶらで伺うのは気が引けたので、地元で有名なお菓子を持参し、お供えする花は訪問当日の朝に現地調達しました。
境内は広く、いくつもの塔頭がありますが、目的の場所はバス停近くの門を入ってすぐの場所にあり、迷うことなくたどり着くことができた。
墓地エリアには通常の拝観ルート途中にある関係者のみの扉から入り、小さな納屋のような場所で記帳とお墓に供える水を汲みます。そこから墓地のある場所へ。
お墓は私がこれまで見た中で最も立派なお墓でした。同行した家族から、今まで聞いたことのなかった故人の話をたくさん聞くこともできた。この旅は、自分のルーツについて考える、単なるお墓参り以上の意味を持つものになった。
春と秋の特別拝観期間を除いて普段は非公開ですが、今回は幸運にも拝観させていただくことができました。
美しい庭や静かなお部屋を拝見し、ご住職がお書きになったと思われる書や各所の説明書きにも目を留めました。残念ながら、その日はご住職がお忙しそうだったので、遠くから静かに会釈。
受付にご挨拶して帰り際、入口近くに飾られていた一つの書が心に残りました。
それは、年老いた親が子どもたちに語りかける内容でした。
「あなたの人生の始まりに私がしっかりとつきそったように
私の人生の終わりに少しだけつきそって欲しい」
子どもの頃に親から受けたすべての恩を覚えているわけではなく、少子高齢化が進む現役世代の自分としては、子どもの立場からはその言葉が少し重く感じられたのも事実。優しさを感じる一方で、多くの人がいつか向き合うことになる責任について考えさせられました。
同時に、いつか自分も誰かに「そばにいてほしい」と願う立場になる日が来るのだろう、とも思いました。そのことを考えると、少し立ち止まらずにはいられませんでした。
自分のことだけを考えて生きるのではなく、今いる場所で、自分の言葉や行動が周りの人へ、少しでも幸せを届けられるような人でありたいと思います。
それが、受けた恩を知り、自分なりの形で返していくということなのかもしれません。
